プロフィール

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内申20台から早慶附属へ。
反抗期の息子と私の受験記

シングルマザーとして、悩み、迷い、ぶつかりながら進んだ受験でした。
このページでは、息子が少しずつ変わっていった過程と、私が感じていたリアルをそのまま書いています。

シングルマザーとしてのスタート

私はシングルマザーで、中3の息子と妹がいます。息子が小5のときに離婚しました。

近くには、息子の父親と祖父母が住んでいて、いつでも行ける距離にあります。 だからこそ、家族の形は変わっても、息子にとって「行ける場所」がある環境でした。

中1の頃は、毎日パパの家に

息子は勉強が嫌いで、反抗期も強く、中1のころは毎日のようにパパのところに泊まって、 たまにしか帰ってこない時期がありました。

私も仕事を立ち上げたばかりで、家にいる時間が少なく、 「ちゃんと見てあげられていないかもしれない」と感じることもありました。

早稲田アカデミーも休みがちだった

息子は中1から早稲田アカデミーに通っていました。 でも、その頃は塾も休みがちでした。

そして中1の最後の早稲アカのテストで、 校舎で最下位の成績を取ってしまいます。

そのとき、本人は初めて「やばい」と思ったそうです。

でも、すぐに変わったわけではなかった

ただ、そこから急に勉強するようになったわけではありませんでした。

  • 少しずつ塾をずる休みしなくなった
  • 少しずつ机に向かう時間が増えた
  • 少しずつ「このままじゃまずい」を感じ始めた

今振り返ると、いきなり変わったのではなく、 少しずつ成長していったのだと思います。

一度は特訓クラスに上がったけれど

途中でレギュラークラスから特訓クラスに上がったこともありました。

でも、ついていけずに、すぐにレギュラークラスに下がってしまいました。 そこからも、やる気になったり、ならなかったり。 波のある状態が続いていました。

転機は「どんな大人になりたい?」という会話

大きな転機は、中2の3月の第一回志望校判定模試の前でした。

私は息子と、「将来どんな大人になりたいか」をしっかり話し合いました。

「金を稼げる仕事につきたい」

その言葉を聞いて、私はこう話しました。

「だったら、早慶附属に入って、
早慶大学に行くのが一番近道だよね」

この会話をきっかけに、息子は少しずつ本気になっていきました。

自分が大人になったときにどうなっていたいか。
そのビジョンがはっきりしてから、息子は少しずつ頑張り始めたのだと思います。

特訓クラスをキープ。でも、ずっと順調ではなかった

志望校判定模試で特訓クラスに上がってからは、ずっと特訓クラスをキープできていました。

でも、波はありました。

  • 特訓クラスの子より勉強していない時期もある
  • 早慶必勝クラスもβで、αから落ちたことがある
  • 音楽を聞きながら勉強する
  • お風呂に1時間半入る
  • 無駄な時間が多くて、母はずっとハラハラ

「もっとやれるのに」と思うこともたくさんありました。

それでも、彼には強いものがあった

息子は、まじめな優等生タイプではありません。

学校の提出物を出さないことも多く、先生とぶつかることも多く、内申は20台でした。

でも、彼にはひとつだけ、とても強いものがありました。

「自分なら何でもできる」
と信じる力

自己肯定感だけは、誰よりも強かったと思います。

5教科から3教科へ。選択と集中

最初は、私は都立の進学校を目指してほしいと思っていました。

でも、学校も塾もうまく両立できる子ではない。 継続力も強い方ではない。 自分が納得したことしかしない。

だから中3の夏前に、 5教科から3教科に絞る決断をしました。

この子には、この子に合う戦い方がある。 そう思ったからです。

このブログで伝えたいこと

この受験は、決して「優等生が順当に受かった話」ではありません。

反抗期で、ゲーム好きで、やる気にも波があり、学校ともぶつかる。 そんな息子が、自分なりのやり方で少しずつ変わっていった話です。

同じように悩んでいるお母さんに、 「まだ終わりじゃない」 「その子には、その子の伸び方がある」 そう感じてもらえたらうれしいです。

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